9月下旬、大森記念病院を経営する医療法人財団東京厚生会(東京都大田区、徳山代之理事長)が約16億円超の負債を抱えて破産したことは、同月28日に既に報じた。しかし実際は、その数か月前から経営陣のずさんな資金繰りが明らかになり、約130人の病院スタッフらの給与未払いや遅延などから労使間に深刻なトラブルが生じていたのだ。突然の整理解雇という理不尽な形で職場を失い、再就職や転居を強いられることになった元スタッフたちは、病院の倒産という事態をどう見つめていたのか。元スタッフの1人が、倒産に至るまでの驚くべき実態を語ってくれた。(田上優子)
■給料が手渡しに
最初におかしいなと思ったのは、振り込みだった給料が手渡しになった3月です。わたしたちの給料は12日締めの25日支払いでしたが、経営側から10日締めにしてほしいと言われました。そうじゃないと、お金の計算が間に合わないと。今考えると、現金で数えなければいけなかったから、1日でも早く締めたいということだったのです。
4月も現金の手渡しでした。さすがに心配になって、5月の給料は大丈夫ですかと聞きに行こうということになったのですが、勤続年数が長い人は「わたしは行かない」という人が多かったです。「上に盾突くような運動には参加しない」と。スタッフの勤続年数は両極端で、1年未満か、10年以上かという感じで、2、3年という中堅がいませんでした。そんな中で、勤めが長い人の多くは「勝手にしなさい。院長はそんな悪いことをするような人じゃない」と、最初は耳を傾けてくれなかったですね。
でも結果的に、5-7月の3か月間は無給でした。この辺りになってくると、勤めが長い人たちもさすがに「(請求書でも)何でもいいからサインする」と言っていましたね。
■「1日も待てないのか」と開き直り
5月の給料が出なった時のことですが、5月25日の給料がでなかったのを6月15日に支払うからと経営側から説明がありましたが、実際は支払われませんでした。16日にドクターの1人が理事長に対して、「15日まで待ったけれど、給料は結局出ないのですか」と尋ねました。そうしたら理事長は、「きょうは出せない、明日になる」と。「そんな話は聞いていない」とドクターが切り返したら、「1日もあなたは待てないんですか」と開き直られたというのです。
結局そんなやりとりの後、6月25日の給料日の支払いがなかったことを確認して、その日に多くのスタッフが辞めました。
もし経営側が、「本当に申し訳ない。いまお金が足りなくて」という形で応じてくれれば、あんなにも大勢の人が辞めることはなかったと思います。けれど、まったく悪びれることなく、開き直ってすらいた。今思えば、あのやりとりが引き金だったように思いますね。
■閉院ひた隠しに
患者の転院作業を終えた7月9日の時点では、スタッフは130人から8人くらいまで減っていました。
患者の振り分けはスタッフだけではとてもできず、大田区や東京都の職員に協力していただきました。病院に入院されていたのは、脳梗塞などで自分で身の回りのことができない方、そうかといって自宅での家族介護も難しいような、胃ろうや高カロリーの点滴などが必要な方たちばかりでした。入浴はもちろん、トイレや食事もできない全介助が必要で。スタッフがおむつ交換して、体を拭いて、歯磨きもしないといけない。中には自分で歩ける方もいましたが、基本的には身寄りがなくて一人暮らしもできず、生活保護を受けていらっしゃる方がほとんど。
行政の協力もあって、1日で8人、10人という単位でどんどん転院が進んでいきました。しかし外来患者に対しては、院内に閉院を知らせる張り紙をしなかったのです。わたしたちスタッフにも6月30日で閉院することは間違いないが、それを外来で言わないでくれと口止めされていました。
結局、休院のお知らせを張り出したのは、25日ごろでした。それもスタッフの方から、頼むから出してくれと言ってようやくです。もう、口止めしていられるような状態ではなかったですからね。
■閉院前は「異様な雰囲気」
閉院前の院内の雰囲気は異様でしたね。本来ならばスタッフが日勤で8-10人いるのが通常の状態でした。当直も必要で、当直の翌日はそのスタッフは休みになります。しかし、6月25日の大量退職で、10人未満になったスタッフで回さなければならず、どうしても手薄になります。そんな中、日勤で目が行き届かず、痰を詰まらせて亡くなってしまった患者さんも実はいらっしゃるんです。他にも、嘔吐物が詰まったりして亡くなったり。
6月末の時点で、まだ半分くらいのベッドが埋まっていました。最後の10日ほどで、ばたばたと転院先が決まって出て行くような感じでした。
とにかく私たちはこういう事態だからといって、落とす命があってはいけないのです。だからその日できることは、とにかく患者さんが痰などで窒息したり転倒したりしないように、ただそれだけを心掛けていました。
それこそ清潔に保つということ、褥瘡があってもそれは二の次です。本当ならば、陰部の洗浄なども毎日しないといけなくて、それで点数を取っていたのですが、そんなことまでとても手が回らない。とにかく少ない人数で危険を回避するのが精一杯でしたね。
■患者には罪がない
その時の気持ちというのは、何でお金ももらっていないのにわたしたちが、ということともまた違うのです。もうここまできたら、お金じゃないんです。もちろんお金のことだって、わたし自身は絶対に取り返すというつもりでしたが、いまこの目の前にいる患者は別なのです。皆が手を離してしまったらすぐにでも亡くなってしまいかねない人たちですから。とにかく、患者が全員退院していくまでは最後まで私たちの仕事ですから。そういう思いで残ってやっていました。
患者さんたちも、しゃべることができないような方たちばかりでしたけど、それでもやっぱり表情がありますし、放っておけないですよ。オムツ交換の時だって、行くたびにオムツは尿でビショビショで便が出ている状態ですし、それを放っておくと、床ずれだってできる。そうなると分かっているのにやらないというのは…できないですよね。
だからといって6月25日の給料がでなかった時点で辞めていった人たちを止めることができるかといったら、それもできないですよね。「あなたたちが来なくなったらどうすればいいの」というくらいは言えたかもしれないけど、「じゃあ、お金は誰が払ってくれるの」「貯金はしてきたけど、こんな時のために貯めたお金じゃない」と言う人に、誰も反論はできませんから。
とにかく患者さんとその家族のことを考えると、とても残念です。経営者のあまりにずさんな管理でこんなことになって。医療に携わる一人として、もう少しうまくできなかったのかなあと思います。
労働基準局に行って事情を説明した時、「医療なので営業停止はできない。行政の指導しかできない」と言われました。でも、それを経営側も盾にしていたのです。「患者さんがいるのに、勝手に辞めたりしていいと思っているのか。見殺しにするのか」と。ひどい言い分だと思いましたがそれは事実で、実際に辞められなかったのです。
■経営者たちへ
振り返ってみて、今までこんな1年はなかったと思います。本当に特別な経験でした。そもそも患者さんを思って皆で仕事をする業界であるはずで、そこは労使のどちら側にいても共通した思いを持っているものだと思うんです。
経営者たちは、最後まで病院再開にこだわっていました。でもあの時、再開したいと言ったその理由が、少しでも患者のため、地域のためだったのであれば、それを今後、どんな形にしても地域に返してほしい。もし再開する理由が、ただお金だけが目的だったとしたらあまりに悲しい。何か、人間の最後の部分の良心というのを信じたい気持ちです。少しでも人に喜ばれるようなことをしていてほしいという願いですが、恐らくこの声は届かないのでしょうね。私たちのお給料をストップして、患者も追い出して、それで何も社会に返さないというのは、許されないのではないでしょうか。
【大森記念病院】
徳山診療所として1954年12月に設立、61年に医療法人に改組。大森記念病院に名称変更し、115床を有する医療療養型病床として、身寄りのない高齢患者の長期入院を受けて入れていた。東京商工リサーチによると、2005年3月期には年間診療報酬9億1800万円を計上していた。しかしバブル期の不動産の失敗などにより、多額の負債で資金繰りが逼迫し、今年7月には債権者の大田区が物件を差し押さえるなど、不安定な経営状態だった。8月31日に従業員側から破産が申し立てられ、9月24日付で東京地裁から手続きの開始決定を受けた。
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引用元:RMT
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